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2025.12.19
自分らしさを探すのではなく、組織で育む支援ができる人でありたい。[金子 彩那(かねこ あやな)]
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海外や友達への憧れから始まった、私の原点
居場所を探し続けていた学生時代
厳しさの中で学んだこと——高校チアダンス部時代
コロナ禍の大学時代と、大切な居場所
入社3カ月半での事業終了、そして海外へ
エイトシークエンスと出会い、考え方が変わった
人の人生が少し前を向く、そのきっかけになりたい
エイトシークエンスのコンサルタントは、キャリアプランをじっくりとお聞かせいただき、充実感と納得感のあるキャリアの選択をサポートしています。このシリーズでは、コンサルタントの自己紹介と共に、キャリアの考えやモットーなどをお話します。実際に話してみたいコンサルタントがおりましたら、こちらよりお問い合わせください。
今回のインタビューは、金子 彩那(かねこ あやな)です。
海外や友達への憧れから始まった、私の原点
幼少期の私は、とにかく活発な子どもでした。 ランドセルを家に放り投げて、そのまま友達とドッジボール。地元の公園で木登りをして、気づけば夕方、という毎日でした。
シングルマザーの家庭で育ち、母が仕事で家にいないことも多くあり、弟や友達と一緒に過ごす時間が自然と増えましたが、不思議と「寂しい」と感じることは少なく、当時の私はただただ毎日を楽しんでいたように思います。
転機が訪れたのは、中学生になってからでした。 私の周りには帰国子女や、日本語が話せない友達が多く、気づけば「海外」がとても身近な存在になっていました。 そんな中、同級生がオーストリアへ留学し、帰国後に行ったスピーチを聞いたことが、今でも忘れられません。
堂々と話す姿がとてもまぶしく見えて、同時に、胸の奥がチクっとしました。 「私も行けばよかった。」 その小さな後悔は、思っていた以上に長く、心の中に残っています。
英語が話せることよりも、様々な国の人と、同じ言葉でコミュニケーションが取れること、 その姿に強く惹かれていました。 世界はこんなにも広いのに、私はまだその一部しか知らない。 その気づきが、「知らないことを知りたい」と思うようになった、私の原点です。

居場所を探し続けていた学生時代
家庭の事情で、中学時代に祖父母の住む茨城へ引っ越しました。 環境が大きく変わり、正直なところ、気持ちが追いついていなかったと思います。
そんな学校生活の中で、唯一ホッとできた場所が塾でした。
みんなで一緒に教室で授業を受けることが楽しく、時には切磋琢磨しあいながら、学習に集中することで、心が落ち着いていく感覚がありました。
留学や海外への興味はずっとありましたが、金銭的な理由もあり、この時点での実現は難しく、 「大学に入ったら、必ず挑戦しよう」と心の中で決めていました。
厳しさの中で学んだこと——高校チアダンス部時代
小中学校の友達のダンスの発表会を見て、憧れの気持ちを抱くようになりましたが、ずっと挑戦できずにいました。高校に入り、友人の誘いでチアダンス部に入部。
いわゆる“宝塚風”の部活で、今思い返しても、かなり厳しい環境だったと思います。
挨拶を無視されることもあり、水を飲むタイミングは制限され、 前髪のスタイル、靴下の長さ、ジャージの着方まで細かくルールが決まっていました。 正直、「なんでここまで…?」と思うことも何度もありました。
それでも辞めなかったのは、逃げたくなかったからかもしれません。 この経験を通して、私は「最後までやり遂げる力」を身に着け、それが自信につながったように思います。
コロナ禍の大学時代と、大切な居場所
大学生活は、コロナ禍とともに始まりました。 中学生の頃から思い描いていた海外留学の夢も、現実的に諦めざるを得ない状況になりました。
そんな中で、大学2年から4年まで働いたアルバイトは、私にとって大切な居場所でした。 一緒に働く仲間は家族のような存在で、忙しい中でも支え合いながら働く時間が、心の拠り所になっていました。
就職活動では、大手のヘッドハンティング会社から内定をいただきました。 それでも、「ここで本当にいいのだろうか」という違和感が拭えず、就活をやり直すことを決めました。
最終的に選んだのは、飲食業界への新卒入社でした。

入社3カ月半での事業終了、そして海外へ
飲食店に入社して2カ月半が経ったとき、突然、お店の閉店が決まり、1か月後に事業の撤退があり退職しました。 あまりに突然で、しばらく実感が湧かなかったのを覚えています。
同時に、今後自分はどういう人と出会って、どういう学ぶが得られる人生を歩んでいくのだろうという、ワクワク感もありました。
ただこの出来事は、結果的に自分と向き合う時間を与えてくれました。 そのとき、真っ先に頭に浮かんだのが、ずっと心の奥にあった「海外への憧れ」でした。
行きたいと思いながら、ずっと先延ばしにしてきた気持ち。 それに正直になり、私はスイスへ行く決断をしました。

エイトシークエンスと出会い、考え方が変わった
これまでの私は、「自分とは何者なのか」をずっと考えてきました。 自分らしく生きるためには、今ある環境を捨てて、知らない人たちの中に飛び込んだり、遠くへ行ったりしなければならない。 そんな風に思っていたのです。
しかし、エイトシークエンスのホームページや、代表・小山さんのnoteを読んだとき、 「らしさは、組織の中で育まれるもの」という言葉が、自然と心に残りました。
ここでなら、自分らしさを探すのではなく、育てていけるかもしれない。 そう直感的に感じました。
人の人生が少し前を向く、そのきっかけになりたい
転職を考えるタイミングは、前向きなときばかりではなく、 むしろ気持ちが落ちているときの方が多いと思います。
そんなときに、 「この人と話せてよかった」 「少し気持ちが軽くなった」 そう思ってもらえる瞬間を、たとえ一瞬でもつくりたいと思っています。
私自身、転職を通して、人生が良い方向に動き出す感覚を実感しました。 だからこそ、その方がその方らしく、無理をせず、自然体で働けるような支援をしていきたい。
人の人生が、ほんの少し前を向く。 その循環をつくれる存在でありたいと思っています。

(インタビュー/記事:エイトシークエンス島田)

